えらてんchの100倍興味深い北九州連続監禁殺人事件
前回の記事ではカルト問題という視点から、えらてんchの問題点を述べさせて頂いた。今回、別の視点からえらてんchの問題点を述べさせて頂く。
問題の動画はこれである。
ミイラ化・洗脳・家族同士で殺し合い・・・戦慄の宗教事件5選【現代日本】
https://m.youtube.com/watch?v=hyoHttZl6jU&t=365s
前回もヤバい動画として取り上げさせてもらったが、前の記事で述べたこと以外にも問題点がある。
それは内容が薄いということである。1分20秒程度の動画で北九州連続監禁殺人事件を語っているがこの事件を宗教事件として捉えていることから、彼の考察レベルの低さが伺える。
北九州連続監禁殺人事件とは
この事件は1995年から2002年にかけて主犯の男、松永太とその妻である緒方純子によって七人が監禁され死亡した事件である。2002年、この二人に7年間監禁され、虐待を受けていた、17歳の少女が祖父母宅へ2回逃亡したことにより、事件が発覚した。(1回目は失敗)
北九州連続監禁殺人事件とは?
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事件の登場人物
松永太(逮捕時40歳)
この事件の主犯。容姿端麗で口が上手い(この男の裁判を傍聴した千原ジュニア曰く、「こいつが芸人になっていたら間違いなく天下をとっていた。」とのこと)。東大卒のコンピュータ技師や 京大卒の物理学者の卵などエリートを装って他人を取り込んだ後、通電と呼ばれる電気ショックや暴力による恐怖で相手を支配し、金を巻き上げる。上の相関図の全ての成人女性と肉体関係をもっていた。この事件で殺人や死体解体を実行することはなかったが全ての事件で松永の関与が認められ、2011年12月に死刑が確定した。
緒方純子(逮捕時40歳)
松永の妻にあたる人物。容姿端麗で女性に好感をもたれやすい松永とは反対に真面目で地味な人物。松永が前の妻と離婚した後、結婚するが逮捕されるまで20年間暴力や通電を受け続け、松永に支配される生活を送る。松永の知人である服部清志に対する監禁致死と自分の父に対する傷害致死、母、妹、義弟、甥、姪に対する殺人罪に問われるが、
・自らの罪を認め反省している。
・純子の自白が事件の真相究明に大きく貢献した。
・松永に20年間洗脳されていた。
といった事実を考慮され、2011年12月に無期懲役が確定した。
服部恭子(仮名)(保護時17歳)
事件発覚の決め手となった少女。2002年3月に彼女が祖父母宅に逃走したことで事件が発覚した。10歳の頃から7年以上監禁され、通電や暴行、酒を飲まされるといった虐待を受けていた。自分の父や、緒方彩、優貴の死体解体、緒方彩、優貴の殺害に関与していたが、犯行当時10歳から13歳であったため、罪に問われることはなかった。
服部清志(仮名)(死亡時34歳)
不動産会社勤務の会社員。元々真面目な会社員であったが、松永たちに物件を紹介したことで松永に取り込まれる。松永から競馬のビジネスを持ち込まれ、仕事や家庭より松永との関係を優先させるようになり、1994年10月からは恭子と共に松永に監禁される生活をするようになる。過酷な監禁生活の結果、1996年2月に衰弱死させられる。
緒方譽(死亡時61歳)
緒方純子の父。プライドが高く、世間体を気にする。昔気質の厳格な性格。地元の名士で地元の農協の副理事の候補にもなっていた。1997年12月、松永から譽に通電するよう命令された純子によって死亡。
緒方静美(死亡時59歳)
純子の母であり、典型的な良妻賢母。譽と同様、世間体を気にする性格。松永と純子の交際し始めたばかりの頃、ほぼレイプのような形で松永との肉体関係をもたされていた。1998年1月、緒方主也と理恵子によって絞殺される。(なお、相関図の静子は誤り)
緒方理恵子(死亡時33歳)
純子の妹。純子よりも奔放で遊び好きな性格。松永とは自身が死亡するまで肉体関係を結んでいたと考えられる。松永にそそのかされ、緒方家の会話を盗聴器で録音するなどをした。それにより、緒方家の面々は疑心暗鬼に陥ることになる。静美を殺害し、1998年2月主也と彩によって絞殺される。
緒方主也(死亡時38歳)
純子の義理の弟。緒方家に理恵子の夫として婿養子に入った。元警察官で正義感が強い。温厚な性格であったが、松永と出会った後、松永に婿養子であることに対する不満を煽られる。それにより、緒方家の人間に暴力を振るうようになり緒方家の内部の関係を悪化させる原因になる。静美と理恵子を殺害し、1998年4月、過酷な監禁生活の末、衰弱死させられる。
緒方優貴(死亡時5歳)
純子の甥。5歳であった為、通電や暴行などの虐待はなかったものの、食事制限や排泄制限、睡眠制限は課され、監禁状態に置かれていた。死体解体や殺害には関与はしておらず、家族が殺し合いをしていることも知らなかった。1998年5月、彩と純子、恭子によって絞殺される。
緒方彩(死亡時10歳)
純子の姪。優貴とは異なり、通電や暴行などの虐待を受け、死体解体や殺害も行っていた。理恵子と優貴を殺害し、1998年6月、純子と恭子によって絞殺される。
以上が相関図の人物の説明である。この事件にはこのようなプロセスがある。
①標的となった人物から 財産を搾れるだけ搾る。
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②対象に金がなくなったら監禁。
↓
③衰弱死するまで監禁(⑥へ)
or松永が殺される人間を決める。(④へ)
↓
④松永が③で決めた人間と自分以外で話し合いを行わせ、その人を殺すという結論を出させてその結論を松永に報告させる。
↓
⑤松永のいない所で殺害させる。
↓
⑥松永のいない所で死体解体をさせる。
この事件は④~⑥までの過程で松永はほぼ関与せず、まさに一族での殺し合いのようになっていたのである。
しかし、読者の中にはこのような疑問がわいてくるであろう。
・なぜ17歳の少女が2002年に逃げ出すまで誰も逃げなかったのか?
・緒方家の人間同士で結託することができなかったのだろうか?
まず第一の質問に対して。
・ 監禁されていた際、すべての窓や玄関は南京錠などで閉められており、物理的に抜け出すことはほぼ不可能であった。
・過酷な虐待
→パン数枚を7分以内で完食。食べられなかったら通電という食事制限。
→小便はペットボトル、大便は一日1回の排泄制限。
→睡眠は昼間に3、4時間。夜の睡眠は不可という睡眠制限。
→会話は禁止。その他松永が気に食わないことがあれば、手足や乳首、性器への通電(通電にはかなりの痛みが伴う。脳天に突き上げるような衝撃、目の前で火花が飛ぶ、皮膚がただれるなどかなり過酷なものであった。)や自分の排泄物を食べさせるなどの虐待が待っていた。
などにより、逃げる気力を失っていた。
ということが挙げられる。
そして第二の質問に対して。
・松永にそそのかされた理恵子の盗聴器の一件や主也の暴力により、緒方家は協力が不可能なぐらい険悪な関係になっていた。
・過酷な虐待により、家族全員が更なる制裁を受けるリスクを背負って結託するより、どのように松永の歓心を買って虐待を回避するかを考えるようになっていた。
ということが挙げられる。
正直、このブログでこの事件の異常性を表現するのには限界があるので後述の資料でこの事件の詳しい内容を知って頂きたい。
えらてんchの問題点
えらてんchの問題点はこの事件を宗教事件として扱ってしまっていることである。この事件は一人の男が巧みな話術や肉体関係により、家族同士の関係を崩し、殺し合いをさせた。教祖が集団を支配するのではなく、松永という一人の男が一人ひとりの人間を意のままに操ったといえる。この事件はカルト問題と繋がる部分は少しだけあるとは言えるが、カルト問題というよりDVや家庭問題という要素が強い。彼のような浅い考察の情報発信では、このような事件が、宗教というある意味特別な環境でしか起きないという誤解を与えかねない。
おそらく、この事件をモデルにつくられた、闇金ウシジマくん「洗脳くん編」の虐待方法がオウム真理教のヘッドギアを連想させるものであったことから、宗教事件であると推測したのだろうが、彼にはもう少し正確な考察をしてもらいたい。
また、動画内でえらてんはあまりにも残酷な事件であったので報道規制が敷かれたと発言しているが、それは誤りである。事件当初、地元の新聞を中心として盛んに報道されていたが、事件の残酷な描写に対して苦情の電話が入ることがしばしばあったため、新聞社が自主規制をしたのである。また、家族が殺し合うという事件の性質上、遺族がメディアに出づらいという面もあり、時間の経過と共に風化していったのである。
この事件を知るなら、えらてんchよりこれを読め!
この事件を宗教事件として取り上げていることは気に食わないとはいえ、洗脳などの部分においてはカルト問題と通ずる所があり、この事件はかなり興味深い。今回、このブログを読んでいる皆様に、2つの資料を紹介したい。
①消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)
松永の妻、緒方純子の視点で事件を追った本。なぜ彼女は20年間逃げることなく、松永の犯罪に加担したのかを洗脳という観点から考察している。
②ザ・ノンフィクションSP 人殺しの息子と呼ばれて…
松永と緒方の間に生まれた息子の視点から北九州連続監禁殺人事件とその後の生活について迫る。①の消された一家では緒方純子は擁護されているが、この番組で息子が純子は洗脳を言い訳にして事件を反省していないと批判している。
自分としては読者の方々にこの二つの資料を比較して自分なりの意見を出して頂けたらとても嬉しい。
なお、闇金ウシジマくんの洗脳くん編をえらてんchで取り上げているが、残虐性の再現度がそこまで高くない為、あまりオススメはできない。
読者の方々には内容の薄いえらてんchよりそちらを見てほしい。
そしてえらてんさんには動画をつくる際に、しっかりと資料を読み込み、内容を吟味してから情報発信をしてほしい。
最後に、ブログ作成を3週間ぐらいサボります。